男性不妊

2025.05.17

Keap1-Nrf2シグナル伝達系と精液中の酸化ストレス・抗酸化能の調節

研究の紹介

Oxidative stress‐induced alterations in seminal plasma antioxidants: Is there any association with keap1 gene methylation in human spermatozoa?

酸化ストレスによる精漿中抗酸化物質の変化:ヒト精子におけるKeap1遺伝子のメチル化との関連性はあるのか?

Darbandi M, et al. Andrologia. 2019 Feb;51(1):e13159. doi: 10.1111/and.13159. PMID: 30298637.

精液の酸化ストレスについて検討した論文を調べていたら見つけた論文で少し古いですがまた紹介いたします。
Keap1-Nrf2シグナル伝達系(Kelch-like ECH-associated protein 1 -nuclear factor-erythroid 2-related factor 2 pathway)は、細胞の酸化ストレス応答における主要な調節機構の一つであり、抗酸化防御に中心的な役割を果たしています。Keap1はNrf2と複合体を形成していて、細胞質内に存在し、Nrf2の働きを抑制しています。酸化ストレス刺激によりKeap1はNrf2から離れ、Nrf2は核内に移動し、抗酸化応答を引き起こす遺伝子を誘導するとされます。近年、Keap1遺伝子のメチル化の過剰のようなエピジェネティックな変化が、酸化ストレス関連疾患においてこの経路の機能障害と関係していることが報告されています。この研究では、精子のKeap1遺伝子のエピゲノムを解析することによって、精子の酸化ストレスに対するKeap1を介した応答がどのように制御されているかを検討した研究です。

研究の要約

この研究では、精漿中の活性酸素種(ROS)濃度が異なる精液所見に問題のない(normozoospermic)男性を対象に、精子DNAにおけるKeap1遺伝子のメチル化の状態を評価し、酸化ストレスとKeap1のエピジェネティック制御との関連性を検討しました。

対象となったのは、ある生殖医療専門クリニックに来院した原因不明の不妊症の夫婦の男性パートナー151名で、精漿中のROSレベルに基づき以下の4つのグループに分類いたしました:
グループA(n = 39):ROS < 20 RLU/s/10⁶精子
グループB(n = 38):20 ≤ ROS < 40 RLU/s/10⁶精子
グループC(n = 31):40 ≤ ROS < 60 RLU/s/10⁶精子
グループD(n = 43):ROS ≥ 60 RLU/s/10⁶精子
精子DNAにおけるKeap1遺伝子のメチル化状態は、メチル化特異的PCR(MSP)を用いて解析し、併せて精漿中の総抗酸化能(TAC)も測定しました。

その結果、いずれのグループにおいてもKeap1遺伝子のメチル化状態に統計学的に有意な差は認められませんでしたが、ROSレベルの上昇に伴って精漿中の総抗酸化能(TAC)は有意に上昇していました。

以上の結果から、精液中における酸化ストレス環境の変化はKeap1遺伝子のメチル化状態に直接的な影響を及ぼすものではない可能性があり、細胞が抗酸化応答を制御する際には、他のエピジェネティック機構や転写後調節メカニズムが関与している可能性が示唆されました。

表.ROSとTACの比較.

グループ グループA
ROS<20 RLU/s/10⁶精子
グループB
20 ≤ ROS < 40 RLU/s/10⁶精子
グループC
40 ≤ ROS < 60 RLU/s/10⁶精子
グループD
ROS ≥ 60 RLU/s/10⁶精子
TAC(μmol/L) 1,431.04±193.15 739.13±187.51 943.05±359.08 1,161.07±333.07
ROS-TACスコア* 50.76 ± 4.06 36.25 ± 2.41 36.65 ± 5.00 36.71 ± 0.90

TACのグループ間の比較:AはB,C,Dより有意に高値;BはC,Dより有意に高値;C,Dは有意差なし
ROS-TACスコアのグループ間の比較:AはB,C,Dより有意に高値;B,C,Dでは有意差なし

* ROS-TACスコアは、酸化と還元のバランスを評価する指標であり、単独でのROS(活性酸素種)やTAC(総抗酸化能)の測定よりも優れており、MOSI:Male Oxidative Stress Infertilityの予測により適しているとされています。このROS-TACスコアは、洗浄後の精子懸濁液中における標準化されたROS産生レベルと、精漿中の標準化されたTACとの比率を用い、principal component analysisによって導出されたパラメータです。健常人ではこのスコアは50程度であり、ROS-TACスコアの正常範囲の下限としてカットオフ値30が設定されており、この値を下回る患者は不妊のリスクがあると推定されています(Takeshima et al, Reprod Med Biol. 2020)。

筆者の意見

本研究では、精液中の酸化ストレスに応じて抗酸化能(TAC)が上昇することが確認されましたが、一方で、酸化ストレス応答において重要な役割を担うKeap1-Nrf2シグナル伝達系については、精子のエピゲノム変化(特にKeap1遺伝子のメチル化)との関連は認められませんでした。これは、必ずしもKeap1-Nrf2経路が機能していないということではなく、別のメカニズムを介して酸化ストレスに応答している可能性が示唆されます。
また、ROS濃度が高いグループ(B、C、D)では、ROS濃度が低いグループAと比較してTACやROC-TACスコアが有意に低値であったことから、抗酸化能の産生が不十分であるか、もしくは酸化ストレスによって抗酸化物質が消費され、補充が追いついていない可能性が考えられます。
本研究の対象は、原因不明不妊のカップルにおける、精液所見が正常な男性であったため、今後は精液異常を有する男性を対象とした研究も必要であると考えられます。また、精子DNA断片化との関連についても明らかにされることが望まれます。考察の中では、「data not shown」との記載付きで、ROSと精子DNA断片化の間に有意な正の相関が認められた旨が述べられており、実際に本研究の被験者の中にも精子DNAの断片化が不妊の一因となっている症例が相当数含まれている可能性があると推察されます。

文責:小宮顕(泌尿器科部長)

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