研究の紹介
参考文献
日本語タイトル
精液所見が基準値内の男性不妊患者におけるDNAアクセス性の異なる亜集団と生殖転帰の関連
英語タイトル
Normozoospermic infertile men possess subpopulations of sperm varying in DNA accessibility, relating to differing reproductive outcomes.
Gill ME, ほか. Hum Reprod. 2025 Jul 1;40(7):1266-1281. doi: 10.1093/humrep/deaf081. PMID: 40375809.
はじめに
読者の皆様はご存知の方も多いと思いますが、不妊症の約半数は男性側の要因によるといわれています。一般的には精液検査で、精子の数や動き、形態などを調べで男性の生殖機能をまず評価しますが、これらの値が正常でも妊娠に至らないケースは少なくありません。近年注目されているのが、精子の核内にあるDNAの状態です。精子のDNAはクロマチン(核タンパク)がヒストンから置換されたプロタミンと呼ばれるタンパク質によって強く凝縮され、外部のダメージから守られています。しかし、この凝縮が不十分だとDNAの断片化や胚の発育不良につながることが知られています。実際一部はヒストンのままと言われています。従来はクロマチンの凝縮度を間接的に染色する方法(CMA3染色など)が使われてきましたが、解釈に限界がありました。そこで本研究では、DNAがどれだけ「開いているか(アクセスしやすいか)」を直接見ることができる NicE-view という新しい技術を精子に応用し、妊娠や胚の発育との関係を調べています。
研究のポイント
ヒト精子に対して、DNAへのアクセス可能な領域を直接標識するアッセイであるNicE-viewを用いることにより、不妊男性の精子において、生殖転帰の異なる集団を同定できました。
研究の要旨
研究課題
ヒト精子のDNAアクセス性を定量化し、哺乳類精子の遺伝物質の高密度パッケージングが着床前発生に与える影響を評価するための信頼できるアッセイを開発できるでしょうか?
研究デザイン、対象数、期間
2020年4月から2023年12月までに、60人の正常精子症男性不妊患者を対象に、精液提供を伴う実験的研究を行いました。
対象と方法
60人のうち40人は、少なくとも1回のART治療を受けていました。このうち20人は、受精後の胚培養で1個以下の胚しか発生しなかったため、低胚盤胞発生群(low blastocyst growth rate, LBGR)としました。他の20人は、培養胚の少なくとも50%が胚盤胞まで発生し、高胚盤胞発生群(high blastocyst growth rate)としました。自然妊娠に至った20人(naturally occurring pregnancy, NATP)も含めました。
精液から回収した精子、またはスイムアップ法で調整した精子をNicE-viewで処理し、クロマチン凝縮のマーカーとしてDNAアクセス性を共焦点顕微鏡で評価しました。300万以上の精子画像を取得し、コンピューターによる画像セグメンテーションで個々の精子頭部を同定し、DNAアクセス性を定量化しました。さらに、従来のクロマチン脱凝縮マーカーであるクロモマイシンA3(CMA3)、およびDNAアクセス性を測定する別の方法であるATAC-seeとも比較しました。
結果
いずれの精液検体、スイムアップ検体においても、DNAアクセス性の異なる2つの亜集団が存在し、その割合は個人によって異なりました。興味深いことに、DNAアクセス性の高い精子が多い男性は、精子濃度が低下していました。また、このパターンはLBGR群でより多く見られました。さらに、スイムアップ法による運動精子選別により、3つのサブグループすべてでDNAアクセス性の高い精子を高頻度で認めました。NicE-viewによるクロマチンアクセス性の測定は、CMA3染色とは異なり、またATAC-seeよりも精子亜集団の分離が明瞭でした。
限界と注意点
本研究は1施設で行われ、対象は60人に限られていました。DNAアクセス性の高い精子が多い検体はLBGR群で多く見られましたが、このパターンを示す症例数は限られていました。
研究の広い意義
DNAアクセス性の高さは体外受精での胚発生不良と関連しており、NicE-viewは体外受精における胚発生異常の予測に有用である可能性があります。より大規模な集団での検討や、精子ゲノム内のアクセス可能領域の局在解析が、この方法の臨床的有用性を評価するために必要です。
# NicE-viewとは
原理
難しいのですが以下のようになります。
NicE-view は Nicking enzyme-assisted viewing の略で、DNAの「アクセスしやすさ(chromatin accessibility)」を可視化する方法です。
ニッキングエンドヌクレアーゼ(Nt.CviPII)でゲノムの開いた領域に一本鎖DNA切断を入れ、その後、E. coli DNAポリメラーゼIを使って蛍光標識したヌクレオチドを取り込ませることで「開いているDNA領域」が光る仕組みです。
特徴
単一精子レベルで染色体の凝縮度を直接観察できます。
数百万単位の精子を画像解析で定量でき、従来の目視法より客観的です。
従来の間接法(例:CMA3染色やAAB染色)に比べ、精子内のDNA構造をより直接的に評価できます。
今回の研究では、NicE-view を精子に応用し、DNAがアクセスしやすい(凝縮が弱い)精子の割合が多い男性では、胚盤胞発生率が低い(ARTの成績が悪い)ことが示されました
私見
この研究で用いられた NicE-view、CMA3、ATAC-see といった DNA アクセス性を評価する検査について、私自身はまだ経験がありませんが、非常に興味深い研究だと感じます。精子クロマチンが完全にプロタミンへ置換されていないことは、プレコンセプション期におけるさまざまな環境要因の影響を受ける重要な要因と考えられています(Khoshkerdar A ら、Reproduction 2021;Lane M ら、Science 2014)。精子 DNA のアクセス性が高いということは、外部からの影響が届きやすい状態であることを意味するからです。
今回の研究では、精子 DNA の「開き具合(アクセスのしやすさ)」を直接評価できる新しい手法である NicE-view が用いられました。その結果、精子数や運動率が基準値内であっても、DNA の状態には大きな違いが存在することが示されました。特に DNA が開いた状態の精子を多く持つ男性では、受精後の胚がうまく発育せず、胚盤胞まで到達しにくい傾向が認められました。これは、精子 DNA が正しくパッケージされていない場合、受精卵の初期発生に必要な遺伝情報の読み出しや安定性が損なわれる可能性を示唆しています。
また、従来から広く用いられている CMA3 染色などと比較して、NicE-view は精子集団の中で「良好な DNA 状態」と「不良な DNA 状態」をより明確に識別できました。つまり、同じく精液所見が基準範囲内にある男性同士でも、精子の質をより精緻に区別できる可能性があるのです。
以上のことから、精液検査に異常が見られないにもかかわらず不妊が続く症例においては、精子 DNA の凝縮状態を調べることも、今後の診断や治療方針の検討に有用となるかもしれません(当施設で従来の精液検査以外に可能なのは、高度精液検査として行なっている精子DNA断片化指数、精液の酸化還元電位です)。さらに大規模な研究によって検証が進めば、体外受精や顕微授精における成功率を予測する新たな指標として臨床応用されることが期待されます。
文責:小宮顕(亀田総合病院 泌尿器科部長)
お子さんを望んで妊活をされているご夫婦のためのコラムです。妊娠・タイミング法・人工授精・体外受精・顕微授精などに関して、当院の成績と論文を参考に掲載しています。内容が難しい部分もありますが、どうぞご容赦ください。当コラム内のテキスト、画像、グラフなどの無断転載・無断使用はご遠慮ください。