研究の紹介
参考文献
日本語タイトル
「精子はいつ受精成功に影響を与えるのか?」
―13,632件の卵子提供ICSI周期における、精子要因による受精不良の発生率
英語タイトル
When does sperm impact fertilization success? The incidence of sperm-related poor fertilization after ICSI in 13 632 matched oocyte donation cycles.
Torra-Massana M, 他. Hum Reprod. 2025 Oct 1;40(10):1843-1849. doi: 10.1093/humrep/deaf152. PMID: 40794597.
はじめに
体外受精において最も広く用いられている技術の一つが ICSI(顕微授精)です。ICSI は本来、重度男性不妊に対して開発された治療法ですが、現在では卵子提供周期を含め、多くの症例で「確実に受精させるため」の標準的な手法として利用されます。しかし、精液検査所見に問題がなくても、時に受精率が低いあるいは全く受精しない「受精障害」が起こることがあります。
これまで、受精障害の原因は女性側(卵子側)にあると考えられることが多く、男性因子の影響はあまり重要視されてきていませんでした。本研究では、同一ドナーからの卵子を複数の男性の精子で受精させるという「卵子提供モデル」を用いることで、卵子の質を統一し、男性側の影響を純粋に解析しています。その結果、ICSI であっても明確に「男性因子が原因の受精障害」が一定割合で存在することが示されました。
今回のコラムでは、この最新研究の結果をわかりやすく解説し、臨床的に示唆されることや男性因子評価の重要性についてまとめてみました。
研究のポイント
卵子提供ICSI 13,632周期を解析した結果、受精不良(受精率≤30%)の 84% が男性因子によるものであることが明らかになりました。
精液検査が正常でも受精障害は起こり得ることが示され、ICSIにおいても 男性側の詳細な評価の重要性が浮き彫りになりました。
研究の要旨
研究の課題
卵子提供を利用した ICSI 周期において、精子関連因子が受精成績に与える影響を評価した場合、男性因子による受精不良は実際にどれくらい発生しているのでしょうか。
回答の要約
卵子ドナー[ドナーの年齢は平均25.5歳 (標準偏差4.4); 18から35歳]の卵子を用いた ICSI 周期では、男性因子による受精不良(受精率 ≤30%)は 3.1%に存在し、受精不良全体(≤30%)の 84.1%を男性因子が占めていました。
背景
卵子提供を選択することは、経済的・心理的・長期的に大きな決断であり、多くの場合「女性因子による不妊」が前提となっています。しかし、精液所見が正常でも、ICSI で受精不良や受精失敗が起きるケースがあり、男性側の未知の要因が関与している可能性があります。これまで、その「男性因子の正確な頻度」は明確ではありませんでした。本研究では、同一ドナー卵子を複数の男性が受精するモデルを用いて、この問題に取り組んでいます。
研究デザイン・対象・期間
本研究は 2015〜2022 年の間に単一施設で実施された 13,632 件の卵子提供 ICSI 周期を解析した後ろ向きコホート研究です。
2963 名の卵子ドナーによる 7,455 回の卵巣刺激から得られた同胞卵子が、少なくとも 2 名以上の受領者に割り当てられ、異なる男性の精子で受精が行われました。
方法
同じドナー卵子ロットを使用した周期で、
- 受精不良(受精率≤30%)
- 良好受精(受精率>65%)
が生じた組み合わせを特定し、卵子要因を統一した状態で男性因子の影響を評価しました。
回帰分析を用いて、
- 卵子の状態(新鮮/凍結)
- 精子の種別(パートナー/ドナー)
- 精液重度異常(濃度 <1M/mL、または前進運動率 <1%)
が受精不良に関連するかを検討しました。
主な結果
- 全周期の平均受精率は 72.7%。
- 受精不良(受精率≤30%)は 3.7%(510 周期)。
- このうち 84.1%(429 周期) は、同一卵子ロットを別の男性の精子で受精させた際に良好受精が得られたことから、男性因子によるものと判定されました。
- 卵子のガラス化(凍結)は受精率を低下させていました(P < 0.001)。
- 一方、精液所見(濃度・運動率)は受精不良の予測因子にはなりませんでした。
- 結果として、男性因子のみが原因の受精不良は全体の 3.1%(429/13,632)、
極めて重度の受精不良(受精率≤10%)は 0.4%(59 周期) でした。
研究の限界
後ろ向き研究であるため解析できなかった項目があり、また卵子提供モデルでは手技の違いなど非男性因子の影響を完全には除外できません。
臨床的に示唆させるもの
本研究は、ICSI における受精不良の多くが「男性因子」である可能性を示し、従来の精液検査だけでは見つからない問題が受精に影響していることを強調しています。
今後、より精度の高い男性不妊診断が必要であり、不妊治療を女性中心ではなく、男女双方を公平に評価するアプローチへの転換が重要であると示唆されます。

筆者の意見
男性因子のみが原因と判断された受精不良は全体の 3.1%(429/13,632)と決して多くはありませんでした。しかし、「受精率が低い症例」に限ってみると、実に 84.1%が男性因子に起因していたという結果は非常に重要です。さらに、精液検査所見(濃度・運動率)からは受精不良の予測は困難で、通常の精液検査では捉えきれない“見えない男性因子”が受精に大きく影響していることが示されました。
この結果から、一般的によく見られる
「ICSIをすれば多少の精液異常は問題にならない」
という考え方は必ずしも正しくないことが分かります。精液検査初見に問題がなくても、あるいは軽度の異常であっても、ICSI で受精不良を起こすケースは確実に存在し、その背景には男性側の微細な異常が潜んでいる可能性が高いのです。
臨床の現場では、「ICSIを予定しているから男性因子はそれほど重視しなくてもよい」と考え、男性側の検査や生活習慣の見直しが後回しになるご夫婦も少なくありません。しかし、本来はその逆であり、ICSI を行う前だからこそ、男性側の状態を最大限に整える価値があります。
精子は射出される瞬間だけではなく、約70〜90日前からつくられはじめ、その間ずっと生活習慣や全身状態の影響を受け続けています。ICSI では受精操作を医療側が担いますが、精子そのものの質が低ければ、受精後の胚発育・妊娠率・流産率などに影響する可能性があります。今回の研究でも示されたように、受精そのものがうまくいかないケースも起こり得ます。
以上を踏まえると、これからの不妊治療では
「ICSIをすれば安心」ではなく、「ICSIをするからこそ、男性も本気で準備する」
という姿勢が必要だと強く感じます。
男性も泌尿器科・生殖医療専門医を受診し、精子形成に影響を及ぼす疾患の有無を確認し、必要に応じて生活習慣の改善や治療を行う。そして、ご夫婦がそろって“ベストな状態”で治療に臨むことが、最も高い妊娠・出産の可能性につながると私は考えています。
ICSI の技術がどれほど進歩しても、最終的には“卵子と精子という二つの細胞の出会い”がすべての出発点です。
今回の研究は、どちらか一方に責任を求めるのではなく、男女双方の健康を整えることこそが、生殖医療の基本であるということを改めて教えてくれるものでした。
文責:小宮顕(亀田総合病院 泌尿器科部長)
お子さんを望んで妊活をされているご夫婦のためのコラムです。妊娠・タイミング法・人工授精・体外受精・顕微授精などに関して、当院の成績と論文を参考に掲載しています。内容が難しい部分もありますが、どうぞご容赦ください。当コラム内のテキスト、画像、グラフなどの無断転載・無断使用はご遠慮ください。