
はじめに
WHO 2021基準では、精子濃度が1600万/mL未満を乏精子症と定義しており、なかでも500万/mL未満は重度乏精子症に分類されます。精子は受精のみならず、胚ゲノム活性化以降の胚発生にも重要な役割を担っています。重度乏精子症では運動精子の減少や形態異常の頻度が高く、ICSIにおける至適精子の選別が困難になることが知られています。タイムラプス培養システムの普及により、胚の発育動態を連続的に観察し、形態動態学的(morphokinetic)パラメータの解析が可能になりましたが、重度乏精子症がこれらのパラメータに与える影響については報告が一致していません。今回、重度乏精子症がICSI後の受精・胚発生・胚盤胞形成に及ぼす影響をタイムラプスで解析した研究をご紹介いたします。
ポイント
重度乏精子症では受精率と良好Day3胚率が低下し、ECC2がわずかに延長しましたが、胚盤胞期での発生能は概ね保持されていました。
引用文献
Men Nguyen Thi, et al. J Assist Reprod Genet. 2026 Mar 4. doi: 10.1007/s10815-026-03842-0.
論文内容
重度乏精子症がICSI周期における初期分割期の動態および胚盤胞発生能に影響を及ぼすかを評価することを目的とした、タイムラプスシステムを用いたレトロスペクティブマッチドコホート研究です。2022年2月から2024年12月にTam Anh Hanoi General Hospitalで実施された、新鮮射出精子と新鮮自家卵子を用いたICSI周期を対象としました。精子濃度に基づき重度乏精子症群(<500万/mL)と正常精子症群(>1600万/mL)に層別化し、母体側因子の交絡を最小化するため傾向スコアマッチングを1:2で行い、最終的に重度乏精子症群39周期、正常精子症群78周期が解析対象となりました。正常受精胚(2PN)はすべてタイムラプスインキュベータで7日目まで観察され、分割期形態動態学的パラメータと異常分割パターンが解析されました。多変量解析(MANOVA・PERMANOVA)にて全体的な形態動態学的差異を評価し、胚の使用可能性(移植または凍結保存)を予測する一般化線形混合モデル(GLMM)でAIC・BICに基づき4095候補モデルを比較しました。
結果
重度乏精子症群は正常精子症群と比較してAMH、AFC、総FSH投与量に差を認めなかったものの、ICSIに供したMII卵子数(成熟卵子数)が有意に多くなりました(14.34±6.63 vs. 10.01±4.22個/周期、p<0.001)。受精率(注入MII卵子数を分母:71.33% [326/457] vs. 77.98% [496/636]、p=0.012)および良好D3胚率(D3観察胚を分母:51.25% [184/359] vs. 65.82% [364/553]、p<0.001)はいずれも重度乏精子症群で有意に低下しました。一方、胚盤胞到達率(胚盤胞期まで培養した胚を分母:84.54% [257/304] vs. 80.51% [380/472]、p=0.153)および良好胚盤胞率(30.92% [94/304] vs. 36.44% [172/472]、p=0.114)には有意差を認めませんでした。形態動態学的パラメータでは、第2細胞周期(ECC2=t4−t2、2細胞期から4細胞期までの所要時間)が重度乏精子症群で有意に延長していましたが(11.34±6.22 vs. 11.09±5.77時間、p=0.014)、絶対差は約0.25時間と小さく、説明される分散はR²≒1.4%にとどまりました。前核消失時間(tPNf)、第3細胞周期(ECC3=t8−t4、4細胞期から8細胞期までの所要時間)、第2分裂同期性(s2=t4−t3、3細胞期から4細胞期に至る同期性指標)、第3分裂同期性(s3=t8−t5、5細胞期から8細胞期に至る同期性指標)には有意差を認めませんでした。異常分割イベントの頻度も両群間で同等でした(p>0.05)。具体的には、第1分割期での3細胞以上への直接分割(DC1、direct cleavage 1)、第2分割期での3細胞以上への直接分割(DC2、direct cleavage 2)、逆行性分割(RC、reverse cleavage)、混沌様分割(chaotic cleavage)のいずれの頻度にも差を認めませんでした。胚使用可能性(移植または凍結保存に至った胚)を予測するGLMM解析では、4095モデルの比較の結果、最良モデル(AIC=688.0955、BIC=742.6570)においても精子濃度は独立した予測因子として選択されませんでした。
私見
過去の知見との対比は以下のとおりです。
肯定的報告(精子濃度低下が形態動態に影響):
- Liao Q, et al. Curr Med Sci. 2020:
精子質の異なる群(正常精子症、乏精子症、精子無力症、乏精子症+精子無力症)を比較したレトロスペクティブタイムラプス研究。重度乏精子症・精子無力症ではtPNfが遅延し、t0補正後もt2が最も遅く、第1細胞周期が延長したと報告。 - Borges E, et al. Fertil Steril Sci. 2024:
POSEIDON基準による低予後患者を対象とした10,366個の注入卵子を解析した大規模レトロスペクティブ研究。重度乏精子症(<5 million/mL)が形態動態学的胚発生に悪影響を及ぼすと報告。 - Quintana-Vehí A, et al. Reprod Biomed Online. 2025:
高度異常精液所見症例を対象とした10,623胚のレトロスペクティブ解析。高度精液異常がICSI後の胚動態と累積臨床成績に影響することを報告。 - Setti AS, et al. F S Sci. 2021:
精子DNA断片化指数(DFI)高値群と低値群のカップル由来胚の形態動態を比較したレトロスペクティブ研究。DFI高値群で胚動態の遅延を確認。 - Esbert M, et al. Andrology. 2018:
若年健常ドナー卵子を用いたICSI周期において、精子DFI高値群と低値群を比較したレトロスペクティブ研究。卵子側因子を排除した条件下でも精子DFI高値群で胚動態の遅延を確認。
否定的報告(精子濃度の影響は限定的):
- Cannarella R, et al. J Assist Reprod Genet. 2025:
自家卵子ICSI周期のタイムラプス観察胚を対象としたプロスペクティブ研究。男性因子のうち精子濃度はtPNa(前核出現時間)にのみ関連し、それ以降の胚発生指標には影響しないと報告。 - Pellegrini L, et al. J Assist Reprod Genet. 2024:
ドナー卵子ICSI周期2,726個の胚盤胞を対象としたレトロスペクティブ解析。精液所見を重度乏精子症、中等度乏精子症、正常精子症に層別し比較した結果、初期分割期動態(t2−t6)に差を認めず。ただしD3以降ではt7、t8、s3が重度乏精子症群でむしろ加速していたと報告。
これらの報告と本研究を統合すると、ICSI条件下では精子濃度のみで胚発生能を評価することの限界が浮き彫りになります。
文責:川井清考(WFC group CEO)
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