はじめに
2021年に改訂されたWHO精液検査マニュアル第6版では、精液検査の枠組みがbasic / extended / advanced examinationに再整理されました。その中で注目すべき変化の一つが、精液の酸化ストレス(oxidative stress)が「advanced examination」として明確に独立した章を与えられた点です。 精液の酸化ストレスは、1990年代以降、男性不妊の病態理解において重要な概念として発展してきましたが、これまでのWHOマニュアルでは、必ずしも体系的に整理されているとは言えませんでした。第6版では、活性酸素(ROS)と抗酸化能のバランス破綻という視点から、精子機能障害との関連が比較的明瞭に記載されています。
ポイント
精液の酸化ストレスは、WHO第6版でadvanced examinationに分類され、精子DNA断片化(sDF)との関連が明確に位置付けられました。酸化ストレスは「単独診断ツール」ではなく、病態理解の補助指標であり、測定法・標準化・臨床アウトカムとの関連には依然として課題が残ります。
引用文献
https://www.who.int/publications/i/item/9789240030787
論文内容
精液中の酸化ストレスとは、活性酸素種(reactive oxygen species: ROS)と抗酸化能(antioxidant capacity)のバランスが崩れ、精子に対して有害な酸化反応が優位となった状態を指します。この概念は、1990年代にAitkenらにより提唱され、精索静脈瘤、白血球増多精液(leukocytospermia)、肥満、糖尿病、感染・炎症性疾患など、さまざまな病態でROS産生の増加が起こることが示されてきました。 WHO第6版では、
- 酸化ストレスが精子DNA損傷、膜障害、運動能低下に関与すること
- 精子DNA断片化検査(TUNEL、SCSA、Cometなど)がextended examinationに位置付けられていること
- ROSや酸化還元バランスそのものを評価する検査はadvanced examinationに分類されること が明確に整理されています。 すなわち、DNA断片化=機能障害の「結果」、酸化ストレス評価=機能障害の「背景病態」という構図が、WHO第6版では暗黙的に示されていると解釈できます。
酸化ストレス測定法とMiOXSYS 従来、ルミノール化学発光法などによるROS測定が研究的に用いられてきましたが、これらは手技の煩雑さや再現性の問題から、臨床検査としては一般化していません。 近年、電気化学的手法により**static oxidation–reduction potential(sORP)を測定する装置としてMiOXSYSが開発され、臨床応用が進んでいます。 MiOXSYSは、少量精液、 約5分以内、 操作が比較的簡便、という利点を有し、特許の関係もあり、現在の臨床現場では事実上の標準的sORP測定機器となっています。 一方で、sORPと妊娠・出生アウトカムを直接結びつけた高エビデンス研究が乏しい、精液粘稠度や測定条件の影響、新鮮精液と凍結融解精液の結果の互換性、基準値・カットオフの標準化不足、といった問題点も、WHO第6版の立場と同様、慎重に考慮する必要があります。
私見
精液の酸化ストレス検査は、「異常があれば治療すべき指標」というより、「なぜ精子の質が悪いのかを説明するための病態理解ツール」として用いるのが現時点では妥当と考えています。 当院でもMiOXSYSを導入していますが、測定条件を厳密に統一し、結果は単独で判断せず、精液所見・生活習慣・炎症所見と総合評価という運用ルールのもとで使用しています。 WHO第6版が示した最大の意義は、酸化ストレスを「測る価値のある生物学的現象」として正式に整理した点にあると考えています。今後、治療介入(抗酸化療法、原疾患治療)との関連がより明確になれば、臨床的位置付けはさらに変化していく可能性があります。

文責:川井清考(WFC group CEO)
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