はじめに
体外受精では、卵巣刺激の最後にhCGを注射して卵子の最終成熟をうながします。1980年代に体外受精が始まって以来、5,000~10,000 IUのhCGを投与し、その36時間後に採卵するというやり方はほとんど変わっていません。hCGトリガーには「卵子を成熟させる」「半減期の長さを利用して黄体期を支える」という2つの役割がありますが、この2つを同時に最適化することは実は難しいのではないか、という指摘が出てきています。今回は、hCGトリガーが体の中でどのようなホルモン環境をつくるのかを整理したFertility and Sterilityの総説を、2回に分けてご紹介いたします。その1では「卵子成熟」を中心に扱います。
ポイント
hCGトリガーはLH様活性のみを持ち、自然のLH/FSHサージとは異なる非生理的な条件下で卵子成熟を起こしており、必ずしも最適とは言えない可能性があります。
引用文献
Claus Yding Andersen, et al. Fertil Steril. 2020 Aug;114(2):200-208. doi: 10.1016/j.fertnstert.2020.05.022.
論文内容
hCGトリガーの2つの役割
hCGボーラストリガーがつくり出す非生理的なホルモン環境と、それが生殖成績に与えうる影響を整理した総説です。hCGトリガーの目的は、第一に卵子の最終成熟を確保すること、第二に着床前のプロゲステロン分泌をゴナドトロピン刺激によって維持することです。しかし近年、この2つの目的は互いの妥協の産物であり、hCGトリガー後の黄体期初期のホルモン環境は自然月経周期とはかなり異なる非生理的な高値となっていることが明らかになってきました。
自然のLHサージとhCGトリガーの違い
自然月経周期の排卵期には、LH濃度は40~60 IU/Lに達します。一方、hCGトリガー後は、投与量や患者さんのBMIによって異なるものの、特に投与後48時間はhCG(=LH様活性)濃度が130~300 IU/L、あるいはそれ以上に達することもあります。このためhCGトリガーは、どのような卵巣刺激法を用いたかにかかわらず、排卵直前の卵胞内の卵子を確実に成熟させることができます。また、hCGは半減期が比較的長く投与量も多いため、黄体期の前半まで体内に相当量が残り、黄体を刺激してプロゲステロンを分泌させます。この黄体期初期の強い黄体刺激は、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)が重篤な副作用となる理由でもあり、一人ひとりに適した黄体刺激を見つけることの難しさを示しています。
排卵で起きていること
排卵期のゴナドトロピンサージ、あるいはhCGトリガーは、いくつかの別々の現象を引き起こします。第一に、卵子が減数分裂を再開し第二減数分裂中期(MII)へ進み、受精とその後の発育に備えます。第二に、卵胞内で一連の炎症反応が始まり、卵胞破裂と卵管への卵子の放出をもたらす構造変化が起こります。そして卵子放出の直後にはこの炎症を終息させ、黄体が正常に発育できるようにする仕組みが必要となります。さらに顆粒膜細胞と莢膜細胞は、プロゲステロン分泌を主体とする黄体細胞へと形質を大きく変化させ、細胞内のステロイド産生装置やその周囲環境も大きく再構築されます。
卵子成熟におけるFSHの位置づけ
hCGトリガーにはLH様活性しか含まれておらず、FSH活性はありません。自然周期では排卵期にLHよりはやや低い規模ながらFSHのピークも生じます。排卵期のFSHの役割は完全には解明されていませんが、FSHは顆粒膜細胞上のLH受容体形成を誘導し、これが卵子成熟とその後の黄体機能の最適化にきわめて重要とされています。マウスではFSHは卵子成熟に必須で、他の動物種でも重要ですが、ヒト、特に卵巣刺激下ではFSHの重要性は低いようで、hCG単独でも排卵直前卵胞の卵子をMIIへ移行させることが十分にできます。これは、卵巣刺激によって卵胞期の大部分でFSHが高値に保たれ、しばしば排卵期サージと同程度の濃度に達しているため、顆粒膜細胞上のLH受容体形成を含むFSHの作用がすでに完了しているからだと考えられます。
一方、下垂体に蓄えられた内因性ゴナドトロピンを動員するGnRHアゴニストトリガーでは、排卵誘発時にLHとFSHの両方が放出されます。複数の臨床研究で、hCGトリガーと比較して得られるMII卵子数がわずかに増加すること、卵丘の膨化がより進むことが報告されており、実際の排卵過程においてもLHとFSHの共同作用が重要である可能性が示唆されています。
ヒトの卵子成熟のタイムライン
卵子成熟の調節機構は、げっ歯類や動物種でこの50年間さかんに研究されてきましたが、ヒトの卵子成熟で働く経路は部分的にしか解明されておらず、動物モデルで重要とされた仕組みの多くがヒトでは同じように働かないことも明らかになっています。実際、ヒトの排卵過程では複数の異なる調節経路が同時に働いていると考えられています。現在では、ヒトの卵子成熟は排卵過程の最初の17~19時間に起こることがわかっています。近年の研究では、タンパク質レベル・遺伝子レベルの双方で、この時間帯に卵子成熟を進める複数の過程が活性化しており、その一部(インヒビン合成など)はFSHによって増強されることが示されています。ヒトの卵子成熟を進めうるシグナル伝達経路がこれほど多岐にわたることは、その複雑さを示すとともに、hCGボーラストリガーは最適な反応の一部分しか担っていない可能性を示唆しています。
私見
hCGトリガーは長年の実績があり、卵子成熟という点では確かに有効です。ただし本論文が指摘するとおり、それは「LH様活性だけを、自然の数倍の濃度で、一度に投与する」という自然とはかけ離れた方法でもあります。GnRHアゴニストトリガーでMII卵子数がわずかに増えるという報告(Humaidan P, et al. Hum Reprod. 2005;Humaidan P, et al. Hum Reprod. 2013)は、FSHの同時放出が実際の排卵過程で意味を持つ可能性を支持するものです。一方で、卵巣刺激下ではFSHの寄与は小さいとする本論文の解釈も合理的で、両者の差はごく小さいのが実情です。当院では、卵子成熟の質そのものよりも、トリガーの選択が黄体期をどう変えるか(その2で扱います)のほうが臨床的な影響は大きいと考えております。
文責:川井清考(WFC group CEO)
お子さんを望んで妊活をされているご夫婦のためのコラムです。妊娠・タイミング法・人工授精・体外受精・顕微授精などに関して、当院の成績と論文を参考に掲載しています。内容が難しい部分もありますが、どうぞご容赦ください。当コラム内のテキスト、画像、グラフなどの無断転載・無断使用はご遠慮ください。